グループの由来と歴史

ここね鍼灸グループの名前の由来

 

ここね鍼灸グループは、「真心を尽くした、親切丁寧な施術」を理念に掲げています。
この「真心」と「丁寧」から一文字づつを取り、「心寧(ここね)」と名付けました。

そして「やっぱり、ここね!」と、あなたに選んで頂けるような鍼灸院を目指しています。

覚えやすく、やさしく、やわらかいイメージを持って頂けるよう、ひらがな表記に、
ロゴタイプやホームページ・ブログのアドレスは同様のイメージで”cocone”と表記しています。

ここね鍼灸グループのロゴマークについて

 

ここね鍼灸グループのロゴマークは、3つのハート(実)が成っている樹木を表現しています。
3つの鍼灸院・鍼灸師がそれぞれの個性を発揮し、力を合わせ大樹に育てていきたいという願いを込めています。

logo単体c

『針灸治療室ピア(ピンク)』
淀屋橋・中之島・肥後橋。働く女性と都会的なイメージを表現しています。

『針灸IN花屋敷(黄緑)』
大阪平野を見下ろす山の手、雲雀丘花屋敷。豊かな山々の自然を表現しています。

『野上鍼灸院(水色)』
奈良盆地から大阪湾に注ぐ大和川。渓谷を抜けて悠々と流れる大河を表現しています。

ここね鍼灸グループの歴史

 

ここね鍼灸グループは、1932年(昭和7年)に開院した「小林鍼灸院」が発祥です。

西側徳子・野上優の父、野上佳宏の祖父にあたる小林英三は戦前、
大阪市東区(現在の中央区)で2軒の「小林鍼灸院」を経営していました。

末弟とともに(昭和10年頃・大阪城公園)

太平洋戦争末期、徴兵により弟と共に衛生兵として広島県の呉海軍病院で従軍していた最中、
1945年(昭和20年)の大阪大空襲により自宅と鍼灸院が焼失してしまいました。

家族は焼け残った住居を求め、大阪市阿倍野区昭和町に転居。
広島から復員した小林英三は戦後、昭和町の自宅で再び「小林鍼灸院」を復活させました。

のちに各院の院長となる徳子(二女)、優(三女)が鍼灸師の資格を取得。
二人は父親である小林英三に師事し、鍼灸の技を学びました。

西側徳子は学習塾の経営を経て、1995年(平成7年)兵庫県川西市で「針灸IN花屋敷」を、
野上優は1974年(昭和49年)兵庫県西宮市で「野上鍼灸院」をそれぞれ独立開業させました。

1985年(昭和60年)に野上鍼灸院が大阪府柏原市に移転。
1999年(平成11年)には大阪市西区で「針灸治療室ピア」が開業しました。

野上佳宏(長男)の国家資格取得後は、針灸治療室ピアは鍼灸師2名で施術を行っています。
2010年(平成22年)より、野上佳宏は非常勤として針灸IN花屋敷でも施術を担当しています。

2015年(平成27年)針灸IN花屋敷20周年を機に、3つの鍼灸院をグループ化。
ホームページ・ブログを共通化し、施術方法や症例などの情報を共有しています。

ここね鍼灸グループの年表

 

1932年(昭和7年)
大阪市東区清水谷西之町(現在の中央区清水谷町)で「小林鍼灸院」が開業。

1945年(昭和20年)
大阪大空襲により自宅と鍼灸院が焼失。阿倍野区昭和町に「小林鍼灸院」が移転。

1974年(昭和49年)
兵庫県西宮市今在家町で「野上鍼灸院」が開業。

1985年(昭和60年)
大阪府柏原市高井田に「野上鍼灸院」が移転。

1995年(平成7年)
兵庫県川西市花屋敷で「針灸IN花屋敷」が開業。

1999年(平成11年)
大阪市西区江戸堀で「針灸治療室ピア」が開業。

2015年(平成27年)
針灸IN花屋敷・針灸治療室ピア・野上鍼灸院を「ここね鍼灸グループ」としてグループ化。

大阪 肥後橋
川西 雲雀丘花屋敷
柏原 高井田
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